アチェ州の歴史と民族意識

こんにちは、かとしゅんです。

FindUメンバーが実際に訪れた、大学生活や高校教科と関連するような日本世界のあちこちを紹介する「TravelU」。

今回、私が紹介するのは、インドネシアのアチェ州です。

なんでアチェ州?

アチェ州には、2年前に学生団体の活動で行きました。

その学生団体全体としては、東南アジアの国々の学生と協同して、各国の社会問題を解決する活動をしています。

私はインドネシアチームに所属し、2004年のスマトラ沖地震で大きな被害を受けたインドネシア・アチェ州の「防災」について取り組んでいました。

東南アジアに行ってみたい!

世界史の中で一番好きな範囲が「東南アジア」です。

特に中世~近現代の、中国やモンゴル/ヨーロッパ/イスラーム/東南アジアの勢力が入り乱れる時代がとても好きです。

数多の勢力同士の関わりを読み取ることは「世界史」を学ぶ醍醐味です。

高校の頃から、いつか東南アジアに行ってみたいと思っていました。

ですから、いきなりアチェの話をする前に、高校の世界史の範囲でアチェの歴史を学びましょう〜。

アチェの歴史

アチェ州とは、インドネシア・スマトラ島の北部にある地域です。

自分は アチェ州の中でも、バンダアチェにいたので最北端ですね!

アチェ州には、15世紀から20世紀初頭までアチェ王国がありました。

かつては海上貿易の要である「マラッカ海峡」を支配し、東南アジアに強い影響力を持っていた大国でした。その前後から、イスラム教が強く根付いています。

20世紀初頭に、アチェ州はオランダに征服されます。他の周辺地域とまとめられ、「オランダ領東インド」となります。

第二次世界大戦後、「オランダ領東インド」は「インドネシア共和国」として独立します。

しかし、「アチェ」と「その他のインドネシア地域」は元々別の国。

2000年代まで、アチェ州は独立を求めてインドネシア政府と対立していました。

2004年のスマトラ沖地震がきっかけで、対立は一旦の終結を迎え、自治を認められて「インドネシア共和国」に留まることとなりました。

アチェ州の民族意識

上記の歴史から、アチェ州の人々は、自らの母国を「インドネシア」ではなく、「アチェ」だと捉えています。

つまり、「アチェ」と「インドネシア」は独立しているという意識が強いのです。

 

例えば、我々の「日本語」という言葉に「アチェ語」を対比させます。

私もアチェの人々と話す時は「アチェ」を国と捉えているように話すことを意識的に心がけました。

文化も違う。言葉も違う。バックグラウンドがまるっきり違う人達と仲良くなりたいのだから、相手の文化や歴史を推し量り尊重するのは当然のことです。

小さな発見ですが、この事に気付けて良かったと思っています。

アチェの1週間

アチェでは、日本のアニメが流行っている様子でした。ドラえもんやポケモンのアイテムを持っている子供を何人も見かけました。(非公式アイテムかもしれないですが笑)

アチェの人々はとても優しかったです。訪問すると、めちゃくちゃお菓子をくれます。

途中からお腹がいっぱいになってきてしまったので、日本語で「お腹がいっぱい」という意味の「kenyang」という言葉を覚えてしまいました。

アチェでの1週間は、初めてのことばかりで、とても新鮮でした。

トイレの水を自分で流すこと右車線で走る車に乗ることあま~い紅茶を飲むことから~いナシゴレンを食べること野良猫に触ってはいけないこと海外の人とワンオクについて話すこと日本語のサインを求められたこと(ひらがな/カタカナ/漢字/ローマ字の4つの種類の文字を書けることが珍しいようです)、別れを惜しまれたこと…。

 

いつか、また、アチェに行きたいなと思います。

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