ぼんやり東大生の1年間 〜文学部4年生ver.〜②

もう年の瀬ですね〜。はっやい。

昨日は哲学ってどんなことを考える学問・研究なのかを説明しようとしてM-1のはなしをして終わってしまいました。

きょうはゲームのことを考えながら、<なにかを説明する>ってどういうことかを考えていきます〜!

ちょいちょい大学生が実際に読んでいるテキストを引用してますけど、面倒だったら読み飛ばしても大丈夫です〜。

哲学ってなにをする??

 

ふつう、私たちはいろいろなものを比較してその共通点をみつけてなにかを理解したり説明したりするのに、

モナカの家系図とか、それに限らず家族というものを「面影」とか「どことなく」という言葉を使わずに説明するのは難しいですよね。

共通点はいえないけれど、似ているっていいたい!

だったら、「全部に当てはまる共通点をみつけないと言葉は説明できない」という今までの前提のほうが間違っているんじゃないか??」と今から70年前くらいに考えた哲学者がいました。

ウィトゲンシュタイン(1889〜1951)

 

そのウィトゲンシュタインという哲学者は、モナカではなく<ゲーム>の説明について考えているので、モナカを離れてすこしだけみてみましょう。

66 たとえば、われわれが「ゲーム〔遊戯〕」と呼んでいる出来事を一度考察してみよ。盤ゲーム、カード・ゲーム、球戯、競技、等々のことである。何がこれらすべてに共通なのか。ー「何かがそれらに共通でなくてはならない、そうでなければ、それらを<ゲーム>とはいわない」などと言ってはならないーそれらすべてに何か共通なものがあるかどうか、見よ。

ウィトゲンシュタイン『ウィトゲンシュタイン全集8 哲学探究』(藤本隆志訳)1976年、大修館書店、69頁(※ヨーロッパで出版されたのは1953年)

ウィトゲンシュタインはいろいろな<ゲーム〔遊戯〕>を例にあげながら、その共通点を探っていきます。

  • チェス  ※文章の中では遊びのチェスと競技のチェスは別物です
  • ミューレ(三目並べ)  ←わからなかったらとりあえず五目並べとかオセロとかをイメージしてみて
  • ペイシェンス(神経衰弱のような一種のカルタ遊び)
  • 子供がボールを壁に投げつけて再び受けとめている場合  ←おままごととかも遊戯のジャンルとしてはここに入るでしょう
  • テニス競技
  • 円陣ゲーム  ←わからなかったらとりあえず手つなぎ鬼とかをイメージしてみて

確かに、チェスもテニスもおままごとも<ゲーム〔遊戯〕>としてくくってよさそうな雰囲気はあります。

でも、であるならば、その共通点ってなんでしょう??

勝ち負けがつくこと?楽しいこと?ルールがあること?

勝ち負けがつけばみんなゲームでしょうか?楽しければみんなゲームでしょうか?ルールがあればみんなゲームでしょうか?

…2つを見比べるだけだったら意外といけそうでも、どれもこれもを<ゲーム〔遊戯〕>としてぴったり表すのにしっくりくるものはなさそうです。

 

『哲学探究』がヨーロッパで出版されたのが1953年なので、今だったらもっともっといろいろなゲームをあげられるような気がしますけど、いずれにせよ、これらのいろいろな<ゲーム〔遊戯〕>にすべて含まれるような共通点、<ゲーム〔遊戯〕>の本質なるものはなさそうだ、といえそうに思えます。

たとえば、盤ゲームをその多様な連関性ともども注視せよ。次いで、カード・ゲームに移れ。…球戯には勝ち負けがあるが、子供がボールを壁に投げつけて再び受けとめている場合には、この特性は消え失せている。…チェス競技における技倆(※テクニック)とテニス競技における技倆とが、どれほどちがっているかを見よ。…このようにして、われわれは、この他にも実にたくさんのゲーム群を見てまわることができる。類似性が姿を現わすかと思えば、それが消え失せていくのを見るのである。

ウィトゲンシュタイン『ウィトゲンシュタイン全集8 哲学探究』

家族のように似ているということ

<なにかを説明する>ことは、そのものの共通点をあぶり出すことではない、という彼の結論は、画期的なものでした。

これらの事象(=盤ゲーム、カード・ゲーム、ボール・ゲームなど「ゲーム」という語で表されるさまざまな異なった事象)には、それらをゲームと言わしめる何らかの本質的特徴が共有されているのであろうか。古典論理学ではもちろんのこと、現代論理学や集合論においても、「共有されている」と考えられている。しかしウィトゲンシュタインは、この考え方を否定し、それらの事象は相互にさまざまな仕方で血縁関係にあるのだ、という。言い換えれば、それらの事象の間には、種々の複雑な類似性があるだけなのである。…

家族的類似性 [独]Familiennähnlichkeit [英]family resembrance (『岩波 哲学・思想事典』241頁)

似ているものがあるだけで、全部に共通するものなどない、という結論は確かに昨日モナカの家系図や家族についてみたときの感覚に近い気もします。

わたくしは、このような類似性を「家族的類似性」ということばによる以外に、うまく特徴づけることができない。なぜなら、一つの家族の構成員の間に成り立っているさまざまな類似性、たとえば体つき、顔の特徴、眼の色、歩きかた、気質、等々も、同じように重なり合い、交差し合っているからである。ーだから、わたくしは、<ゲーム>が一つの家族を形成している、と言おう。

家族がどことなく似ているのはわかっているんだけど、どう共通点を持っているのかわからない。だったらそれを「家族のように似ている」と名付けてしまおう。そして、そんなふうにしかものを説明できないのは、<ゲーム>以外についても同じはずだ。

…と、こうウィトゲンシュタインは考えたのか。

というようなことを思ったりしているのが、哲学の勉強をしている大学生なのです。

だから、M-1のモナカのネタをみたら、「これ、家族的類似性やん!」とかちょっと思ってみたりするのでした…。

 

今回は、実際に自分で読んだりしていた文章も使いながら、ふだんの勉強のことをご紹介しました!

明日は、それ以外の暮らしぶりについても、今年一年を振り返ってみたいと思います〜!

 

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